歴史沿革

 都市としての大連の歴史は1898年から始まりました。この地域は日清戦争で日本が清から得た場所でしたが(1895)、ロシア、フランス、ドイツの三国干渉によりすぐ清に返還しました。ロシアはウラジオストークが不凍港でなかったので、不凍港を確保するためにこの地に目をつけていました。
 1898年、ドイツが山東半島付け根の膠州湾を租借すると、イギリスは山東半島の威海営を、ロシアは遼東半島南部を租借しました。期限は99年です(1997年まで)。ロシアはここに商業の拠点を築くことにしました。そのときに「遠方」という意味の「ダリーニ」と名付けました。大連の都市構造の基本はロシアによって作られました。
 1904年に日露戦争が始まっていました。旅順での戦闘が終了した後(1905)、ここに日本人が渡航し始めました。ポーツマス条約でロシアの租借地は日本に譲渡され、「関東州」となりました。旅順に関東都督府がおかれました。ダリーニは大連と改名されました。
 1982年に市名が大連市に変更。1980年代に中国は改革開放路線をとり、1984年に経済技術開発特区に指定され、経済的に発展した現在中国第3の港湾都市です。

大連地図

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